ポールと宇多田のトリビュートアルバム

うーん。続けられない。
三日坊主にもなれない。
とにかく何か書いてみる。


昨年度末に2枚のトリビュートCDを購入した。
1枚はポールマッカートニーへのトリビュートの
The Art of McCartneyである。

アート・オブ・マッカートニー~ポールへ捧ぐ(初回限定盤)(DVD付)

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相当に豪華なメンバーが参加しているにもかかわらず本当にひどい。
その原因は明らかで、ほとんどの曲のバックを
現マッカートニーバンドのメンバーがつとめていることである。
曲目もここ数年のツアーと半分くらい重なっており、
多くの曲が単なるカラオケに終わっている。
そのアーティスト独自の解釈などほとんど無きに等しい。


それでも1流スタジオミュージシャンならば、当然何らかの工夫を凝らそうとするところだろうが
残念ながら現在のマッカートニーバンドのメンバーのうち
カラオケ伴奏の範疇を超えられそうなのはドラムのエイブラボリエルJr.くらいか。
2002年と比べて2011年の来日公演は本当に素晴らしかったが、
それでもメンバー一人ひとりの質は89年〜93年までのツアー時と比べるべくもなく
特に現在のギタリストなどは3流もよいところである。


ところで、良いトリビュートアルバムとはどのようなものか、
と問われると、そもそもあまりそういうアルバムを買うことがないので
パッと思い浮かべることができない。
とはいえ、少なくともこのマッカートニートリビュートよりも、
購入したもう一枚の宇多田トリビュート
の方が数倍優れていることは間違いない。


まだそれほど聞き込めていないが、
吉井和哉 / Be My Lastなどは
吉井の曲であると言われても違和感がないほど自然な出来だし、
椎名林檎のLettersやハナレグミによるFlavor Of Lifeなども
アーティスト名と曲名から期待される水準を満たしている。
意外なところでは、これまでほとんど聞いたことがないにもかかわらず
なんとなくいいイメージを持っていなかった加藤ミリヤのFor Youもなかなか良かった。


この宇多田トリビュートのどこを良いと感じるのか?
と考えてみるならば、月並みな答えではあるが、
ふとした部分にアーティストへの愛情を感じられる瞬間がいくつもあることである。
では、ポールトリビュートの参加アーティストにポールに対する愛情がないのか?
そんなはずはない。
ビリージョエルやジェフリンがポールを尊敬していないわけはないし、
ブライアンウィルソンやスティーブミラーもポールとの関係性から考えて
適当なやっつけ仕事をしようと考えたわけではないだろう。


じゃあポールトリビュートの失敗の原因は何なのか。
これはやはりバックバンドの問題であり、トリビュートアルバムのコンセプトの問題だろう。
トリビュート版の参加アーティストは当然それぞれ名を成してきた人物であるわけだが、
当然ながらその強みがポールと同じとは限らない。
それにもかかわらず、同じバックバンドがとりあえずオリジナルと同じような演奏をするのである。
参加アーティスト名から期待されるアーティスト性は薄まるに決まっている。
オリジナルとの差異化という意味でも、アーティストの強みを生かすという意味でも
何のメリットもない愚行であると言わざるをえない。


宇多田トリビュートへの参加アーティストは、吉井をはじめとして
曲を所与としたうえで1から自分で組み立てなおしている。
アーティスト性の濃度が高くなるのはどちらかと考えれば、
答えはおのずから見えてこよう。
加藤ミリヤのFor Youなどはオリジナルとほとんど同じなのだが、
本人がそのような方法での表現を選択したうえで
感情を込めて歌っているのが伝わることで感じいる瞬間が生まれるのではないか。
このアルバムには入っていないが、
大橋トリオによるtravellingのカバーが以前からとても好きである。